答えは“外”にあるのではなく、いつも自分の《内側》にある。常に自分の『中心』に立ち戻りたい

答えは“外”にあるのではなく、いつも自分の《内側》にある。常に自分の『中心』に立ち戻りたい

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「自分はどうしたい?」「自分はどういう人生を生きたいのか?」

周囲の状況やいざこざは、一旦脇に置いておいて、この質問を自分に問いかけることで、飾らない“素の自分”に立ち戻ることが出来る。

僕ら人間は様々な《関係性》の中で生きている《社会的な生き物》なので、人によって大小あれど、どうしても“周囲の目”や“意見”、そして“世間体”が気になるのではないだろうか。

“あの人が、こういうから”とか、“常識的に考えて”とか、“人として、大人としてどうか”とか、そういったアレやコレやは一旦、脇に置いておいて、「それで?自分はどうしたいの?」と、自分に問いかけ常に自分の《中心》に、立ち戻り、更に「それは何故?」と深堀りしていくことが大事だと思う。

「自分はどうしたいのか」といった自分の考えや軸を持っていないと、代わりの“誰か”が描いた人生を生きてしまいかねない。

「え?もうこんな時間!?」といった、只でさえ忙しい毎日を日々過ごしていると尚更だ。

僕らは生まれた時から、親や家族、友達、教師といった周囲にいる様々な人の影響を受けて育つ。そして成長する過程で得た経験などで、モノの考え方や価値観・常識といった情報を得て物事を学んでいく。

成人になったらなったで、それまでの学生という価値観・常識から一転し、社会人の価値観・常識を学んでいく。そして、人生はここからが長い(苦笑)

現代、僕らの周囲には、とにかく多くの情報で溢れている。聞くところによれば、“現代人が一日に得る情報量は、平安時代に生きた人の一生分”なのだという。

この説の根拠が何処にあるかは分からないが、確かにこれだけテクノロジーが進化し、携帯できるスマホなどで常時、情報を取得、発信、交流が出来る現代であれば、わからなくもない気がする。

テレビ、新聞、雑誌、ラジオといったマスメディア、インターネットのポータルサイトやニュースサイト、ちょっとSNSを覗くと、多くの“他人”の常識やモノの考え方・価値観といった《情報》に溢れており、「そういうものか」と、どこか妙に納得してしまい、感化されやすい状況にあるのではないだろうか。

僕はこの「そういうものか」という感覚が《クセもの》だと思っている。そういう感覚にあるとき、『ただ周囲に流されて、生きている状態』なのかもしれない。

僕も、身近な人達や、メディア・ネットなどで見かける、いわゆる“影響力を持つ”(そう見える)人達の意見に影響をされ左右されるところがある。

もちろん、その意見や考え方を取り入れることで、人生の質が良くなり、《自分が目指すゴール》へ向かうのであれば、“それはそれで良い”と思う。

だが、“もし、そうでない場合”は、冒頭の質問の「自分はどうしたい?」「自分はどういう人生を生きたいのか?」といった問いから導き出される答えを持っていないと、型に嵌った“他人の考え方”を安易に採用しまいかねない。なので、一旦冷静に考えることが大事なのだ。

他の誰かの《成功談》は、あくまでその人の《成功談》であり、何処かの誰かが言う《幸福》は、あくまでその人の《幸福》でしかない。語弊を恐れずに、乱暴な言い方でいうと『そんなことは、どうでも良い』のだ。

他人の価値観をあたかも“自分のもの”として採用し突き進んでしまうと、もしそれが本心とは、かけ離れていたとしたら、それに気付いたときには、自分の本心とは違う場所(状況)に居るかもしれない。

幸せの“かたち”は一つではなく、人の数だけある。コレという正解が用意されているわけではない。

何を持って幸せなのか?何を持って成功なのか?自分はどういう人生を生きて、どういうことを成し遂げていきたいのか?といった答えは、いくら外に求めても、それは見つかりはしない。

答えは、いつも自分の中にあり、自分の《素直な気持ち》に従うのが一番だ。《自分の人生を生きる》というのは、そういうことなのではないのだろうか。

今迄、述べたことを踏まえた上で、経験を積みながら、人の幸せに《貢献する喜び》を覚えていくと、また一つステージがあがり良い流れにのっていけるのではないだろうか。

自分の気持ちに正直に生きるというのは、言う程簡単ではないかもしれない。精神的なタフさもいるだろう。

現状を冷静にみて、理想に反して割り切る場面もいくらでも出てくると思う。目的地に向かう途中、思いがけない足止めをくらうような出来事が起こるかもしれない。周囲の反感をくらうこともあるかもしれない。「ここぞ」というときに、波に乗れない悔しさを味合うことも一度や二度ではないかもしれない。

だが、そこは中国の故事「人間万事塞翁が馬」にあるように、“物事の善し悪し”は後になってみないとわからないもの。変化があるのは、むしろ当然のことと捉え、悲観的にならず“どん”と構えていたいものだ。

二度と来ない今日という日を大事に。“現在”という貴重な時間を大切にしていきたい。

本日もお読み頂き、ありがとうございました。

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