自分の価値や存在意義は何によって決まるのか?スタートに返ってみる

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自分の価値や存在意義とは何によって決まるのでしょうか?

人生で起こるさまざまなテーマにおいて《成功と失敗》《勝ち負け》の基準は人それぞれだと思います。自分が成功している、または上手くいっていて自分にOKを出せるときは自分の価値や存在意義を感じれるかもしれません。逆に自分にOKが出せないときは自分の価値や存在意義が感じられないことも。

でもこれら基準は大抵《他人との比較や優劣》で成立っていることが多く、自分のコントロールが充分に効かず外側の環境や要因でどうにでも変化してしまうように思えます。

外側の要因に価値を見いだそうとしても心は満たされない

《他人との比較や優劣》の上に自分の価値を見いだそうとすると、いつまでも自分の心は満たされることは無いように思えます。

僕たちは子どものころから他人と比較され競争するように教育されるので、自分の価値は《他人との差》にあると思い込むのかもしれません。だから自分より秀でた人を見ると憧れたり、その人のようになりたいと思うのかもしれません。

誰かに憧れるのは良いとしても、それが悪いほうへ向いてしまうと、その憧れる人のようになれたら自分には価値が有り、そうでない自分はダメで価値が無いと思ってしまったり。

お金持ちになることへ自分の価値を見いだしている人は、お金を持っていると自分に価値が有ると思い、逆にお金がないと自分には価値が無いと思うかもしれません。

仕事で成果をあげることへ自分の価値を見いだしている人は、仕事で成果をあげると自分には価値が有ると思い、逆に成果があがらないと自分には価値がないと思うかもしれません。

何に価値を見いだすかによって他人への接し方も変わる

お金持ちになることに自分の価値を見いだしている人は、お金を持つと慢心したりお金持ちを敬ったり、逆に収入が低い人には見下した態度をとってしまうかもしれません。

仕事で成果をあげることに自分の価値を見いだしている人は、成果をあげると慢心したり成果をあげている人を敬ったり、逆に成果をあげてない人には見下した態度をとってしまうかもしれません。

多少極端に書きましたが人の態度はその人の持つ価値観の裏返しで、これはお金や仕事や学歴やその他さまざまなテーマに共通することだと思います。

こうなるとその人の品性も疑ってしまいます。

自分の価値は外側ではなく内側に在る

他人との比較や優劣といった外側に自分の価値や存在意義を見いだそうとするとそれは際限が無く、また心も安定せず難しいと思います。

先程も書いたように外側の要因は自分にはコントロール出来ないからです。そしてそれは他人の基準に自分を合わせる苦しい生き方でもあると思います。

なので外側ではなく自分の内側に自分の価値や存在意義を見いだすのが良いと思うのです。

人は本来存在しているだけで価値がある

そもそも人は裸で生まれてきて死ぬときも身体ひとつでこの世を去ります。はじめから何も持っていないし、最後も何も持っていけない。あるのはその《人》だけ。つまり《人》そのものに価値があると思うのです。

何かを持っているから価値が有るのではなく、何かが足りないから価値が無いという訳でもない。自分の価値というのは外側に探さなくてもはじめからそこに在ったのです。

子どもの頃から他人と比べ競争し他人との優越を感じるうちに、自分には何か「足りない」と思うようになり、必至に埋めようと躍起になっていたのだと思います。

外側にあるものはアクセサリーのようなもので、いくらアクセサリーを増やしたところで自分の価値や存在意義とは全く関係がありません。

自分は存在しているだけで価値がある。

まずそこに立つことで自分自身を愛し信頼することが出来、また他人に対しても愛情を持って接することが出来るのだと思います。

そこからまたスタートしていくことで、自分の価値も存在意義も常に感じながら、人生を歩んでいけるのではないでしょうか。

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